昨年10月の御園座以来の三津五郎さんを目当てに、西宮まで行ってきました。
会場となる兵庫県立芸術文化センターは昨年オープンしたばかり。ウッドデッキ風のエントランスに響く靴音が非常に気持ちいい。でももっと素敵だったのは、会場となった中ホール。客席は円形劇場を思わせるかなりの傾斜のある階段状。しかも座席は千鳥配置だから、前のお客さんの頭が気になるということがありません。わたしは前の方の座席ではあったのですが、この傾斜なら最後列の方でも舞台をかなり近くに感じられるのではないかと思います。今日の座席は5列目のど真ん中。スプリングのまだまだ効いた真新しい座席に座ると、舞台の役者さんたちとかなり近い目線になるというまさに特等席でした。
「獅子を飼う」はひょうご舞台芸術第33回公演。芸術文化センターのオープニングシリーズにして、山崎正和氏が芸術顧問を勤める「ひょうご舞台芸術」の第1回上演作品の再演です。ロビーにはその14年前のパネルが展示されているのですが…利休の平幹二朗さんも秀吉の三津五郎さんも、衣装つけた写真だとそれほど今と変わっていらっしゃるようには見えません。モノクロ写真のせいかな?(笑)
ちなみに今回のチケットは5000円!この内容・密度でこの値段は安いと思います…いいなー公共ホールの劇場。
以下ネタバレを含みますのでご注意を。
「獅子を飼う」というタイトルにある「獅子」とはある世界における絶対的にして危険な存在。ひとつ扱いを間違えれば、そこにあるのは死のみ。だからこそ、その獅子と戯れることによって得られる快感がある。「政治」の世界の獅子である秀吉と、「芸術」の世界の獅子である利休(舞台中では「宗易」)。それぞれの絶頂の中で獅子同士であるからこそ認め合えるふたりが、しかし、こころの中で互いを飼いならそうとしていたならば…。
その瞬間瞬間を生きているがために存在としての連続性を必要としない宗易と、常に自分の存在と使って何かを成し遂げてきたがゆえに肉体を失えば、すべてを失ってしまう秀吉と。政治的に宗易を抹殺することに成功した秀吉と、それゆえに秀吉を精神的に永久に支配することに成功した宗易。この2人の対峙について、あれやこれやあれやこれやと考えているのですが、今日のところは感想がまとまりません。もう一度見に行くので、それまでじっくり考えます。
作品としての感想はとりあえずおいておいて、役者さんの感想を。
平さんの利休。とにかく綺麗で素敵。そこにたたずんでいらっしゃるだけで満足感あり。終始静かなのですが、その内面にあるさまざまな葛藤を、ことばとそれ以上に微妙な表情で表現されていました。
三津五郎さんの秀吉。主役であり芝居のテンポを作る役どころ。シリアスな場面から会場の笑いを誘うコメディタッチの場面まで、テンション上げたり下げたり大変だと思うのですが緩急自在に演じていらっしゃいました。特に寧々とのいちゃいちゃとロペスとの各種やりとり、三成へのツッコミシーンは客席大ウケ。こういう軽妙な雰囲気、本当にお得意ですよね。
高橋長英さんの秀長。実はもうひとりの主役かもしれません。秀吉が「政治」の、利休が「芸術」の投影ならば、この人はいったいなにものだったのだろう?
ふたりの獅子の間を常に穏やかな笑顔で行き来する人物。高橋さんの穏やかな笑顔が物語りの終盤になるまで、緊迫感の中にも「この人がいるから大丈夫」という安心感を与えてくれていました。だからこそ「でも秀長って確か若くして死ぬんだよね?」という考えが、ラストの2人の関係の崩壊を予想させて辛かった。死のシーンでは、秀吉と一緒になって泣いちゃったもん(笑)そうそう、黒に金糸の刺繍(?)のマントが物凄く似合っていて素敵でした。